5分で分かる庄田雄貴のプロフィール

プロフィール

このページを開いてくださってありがとうございます。

ブログ「最小限で生きる」を運営している庄田雄貴です。

読み方は「ミニマルで生きる」になります。

ここではブログ名の由来と私(庄田雄貴)について書いていきます。

 

最小限で生きるについて

ブログを運営し始めたのは2017年の5月。

自分にしっくり来るブログのタイトル「最小限で生きる」にたどり着いたのは、2018年の7月。

現在のブログタイトルの由来としては、私は効率よく少ないエネルギーで生きていきたいという意味を込めた。

このブログで発信していることのメインとしては、私が超おすすめしたい物や私の考えを中心に発信している。

  • 断捨離
  • 内向型(コミュ障)の生き方
  • 好きな本

上記の3つを中心に現在は幅広いジャンル(雑記ブログ)で書いている。

 

自己紹介

自分の話をするとかなり話が長くなるので、時系列にして箇条書きでまとめると以下のようになる。

  • 本名:庄田 雄貴(しょうだ ゆうき)
  • 1992年12月27日生まれ/B型/山羊座/申年
  • 山口県出身/東京在住
  • 立教大学法学部卒業(2017年3月卒業)
  • 大学4年生のときに1社内定を取得したが、辞退(2015年)
  • ベンチャー企業を中心に就職留年したが、内定もらえず(2016年)
  • ネットワークビジネスに参画(2016年11月~2017年7月)
  • コンビニでフリーター(2017年7月〜2018年1月)
  • フリーライター(2018年2月)
  • 引きこもり(2018年3月〜6月)
  • 古本屋でフリーター(2018年7月〜現在)

 

私の嫌いなもの

私の嫌いなことをまとめると…

義務教育が嫌い

小学校から中学校の義務教育の期間は、失敗を他人のせいにしてる人が多い環境で過ごしてた。

学校で他人の足を引っ張って時間を奪われてイライラした経験をした人は共感するのではないか?

特に義務教育の小・中学生のときは学校に行きたくないと何度思ったことか…

学校に行きたくないと思っていても、学校をサボると先生が親に報告するし、それで学校に行かざるを得なかったし…

⬆️学校はめっちゃ退屈だったイメージ図

中学生はバイトもできないし、当時はガラケーがあったが、今のスマホみたいにできることが限られていてゲームか勉強か部活くらいしかやることが無かったので、本当につまんなかった。

これがきっかけで義務教育が嫌いになり、他人に強制されて生きることが苦痛に感じるようになってしまった。

 

カーストが嫌い

⬆️こんな風にコミュニティの輪の中で楽しめなかった

学校や会社のような閉鎖的なコミュニティに所属すると、カーストが存在し、いじめがどこかで必ず起こる。

実際に私も弱い立場として学校でいじめを受けた経験があり、カーストが存在する学校や会社のようなコミュニティには属したくないと思ってた。

スーツを着て大企業のような年功序列のある企業を大学4年生のときに受けたが、内定が一社出たものの、カーストがあって嫌になり内定(正社員の道)を辞退した。

学校のいじめや就職活動をきっかけにカーストのある学校や会社が嫌いになった。

補足すると私があくまで会社員が好きではないというだけであり、世間の会社員をディスってるわけではない。

 

人混みが嫌い

⬆️電車で出勤するのが死ぬほど嫌だった

満員電車のような人混みはウィルスが蔓延していて、風邪が感染るし本当に辛い。

特に東京のような朝の満員電車はとにかく地獄でしかなかった。

スーツなんか着てたら、さらに体力を消耗する。

こんな馬鹿馬鹿しいことはないよね。

ブロガーのイケダハヤトさんの著書「まだ東京で消耗してるの?」を読むと、イケダさんが満員電車が死ぬほど嫌いな理由が延々書いてあり、満員電車が嫌いな人は一読してみて欲しい。

 

私の好きなこと

私の好きなことをまとめると…

B’z

「ultra soul」を聴いたのをきっかけにB’zにのめり込む。

B’zに関しては、一時期CDすべてコレクションとして揃えてたくらいだ。

それくらいB’zにハマってた。

しかもブログでB’zがなんで人気なのかを記事に書くくらい好き。

熱狂ってこういうことを言うのかなと気付いた原体験だった気がする。

 

自己理解

無職のときに内省する時間があったので、ストレングスファインダーの資質34個全部出したら結構面白かった。

自分の資質だけでなく、他人の資質を分析することが最近の趣味になるくらい他人の資質を知って「この人はこういう人なのか!」と腑に落ちたりすることがあって実に面白い。

個人的な趣味として、他人のワースト5の資質を覗くのが超楽しくなった。

他人の粗探しをしたいわけではないが、下位の資質が自分と同じだと話が会うから気を使う必要がないっていう意味ね。

 

ボードゲーム

ボードゲームが小学生のときからのめり込んでた。

特にオセロ・将棋・麻雀好き。

オセロは物心がついたときから家にあったので、親とやっていた。

将棋は「3月のライオン」、麻雀だと「アカギ」が始めたきっかけ。

 

ストレングスファインダー

2018年7月のストレングス・ファインダーの上位5つは以下になる。

  1. 内省
  2. 学習欲
  3. 最上志向
  4. 個別化
  5. 収集心

 

内省1位はちょっと意外でしたが、冷静に分析すると全部当たってる…

下位の5つ(ワースト順)が以下になる。

  1. 規律性
  2. コミュニケーション
  3. 回復志向
  4. 公平性
  5. 競争性

 

経歴

小学生時代

小学生ときは5年生までは山口県にいました。

父の仕事の転勤で東京に転校することに。

小学生の頃は2年生から6年まで野球に没頭。

野球を始めた理由が「あんまり動かないスポーツだから」という理由で始めたらしい笑(母から聞いた)

このときから変な子供だったんだなぁと振り返って思います。

⬆️イメージ図

他にもゲームにハマりすぎて1日12時間くらい没頭してた気がします。ゲームをしてたときに初めて1つのことにのめり込む感覚(ゾーン)を経験。

ゲームにハマりすぎたせいで勉強が全くできない小学生時代を過ごした。

勉強があまりにもできないせいで塾に通い、中学校受験の勉強をしたが、どこにも受からなかった。

親からすれば勉強をちょっとするようになったぼくに知識を身につけて欲しかったみたい…

強制力を働いたせいか、中学受験の勉強のときに塾をサボってた。

このとき始めて親に対して完全に逆らって道を踏み外した初めての体験だったはずだ。

小学校時代は1つのことにハマる大切さを最も学んだことが財産だったと思う。

 

中学時代

中学では東京の家の近くの公立中学校に進学。

小学校のときに野球を5年やったが、飽きてしまい、硬式テニス部に所属。

テニスは個人競技であったものの、シングルスが好きな人が圧倒的に多かったのでダブルスに特化してやっていた。テニスをしていたときに右を9割行くなら俺は左を進む的な考えが身についた気がする。

テニスをしていて楽しかったのは中学1年のときだけで、中学の残り2年間は顧問が変わり本当にテニスが嫌いになった。

このときに帰宅部が羨ましかった。

中学2年以降はテニスがつまんなくなり、練習をサボることを覚え、徐々に週刊少年ジャンプにのめり込んでいた。当時はテニスの王子様アイシールド21がブームだったことが非常に懐かしい。

 

また中学生のとき、大人に対して反抗期だったのはよく覚えている。

中学時代に本格的ないじめを受け、カースト制度が存在する中学校に対して破滅願望を本気で抱き、現状維持の制度が嫌いになったのも中学校のいじめを受けたことがきっかけになっている。

いじめを受けていてメンタルをコントロールすることができず、勉強に専念することができず、成績も思うように伸びなくて親に怒られ、勉強そのものが嫌いになった。

このとき両親に学校をサボったりして不登校になりたいと言ったが、聞いてもらえず、仕方なく通って卒業証書を受け取った。

 

高校時代

高校受験で神奈川県の私立の進学校(スポーツ強豪校)に進学。

高校時代はスポーツの部活には入れず、中学のときに憧れていた帰宅部になったが、文化系でも何でもいいから部活に入っておけば良かったと後悔している。

この高校時代を「人生の暗黒時代」と呼んでいる。

⬆️イメージ図

中学のときと同様、週刊少年ジャンプにハマり、黒子のバスケがブームだった。

勉強は最初のほうは成績が良かったものの、調子に乗りすぎて学年が上がってくるにつれて成績が降下していく一方だった。

現役の大学受験では早慶・MARCH受からず、浪人。

 

浪人時代

勉強は嫌いだったが、浪人した以上もうやるしかない状況でした。

予備校は高校の知り合いのいない河合塾池袋校に1年間所属。

この当時、本気でMARCH以上の難関大学に合格するために予備校に毎日缶詰になって1日10時間近く勉強していました。

浪人のときは人生で最もガムシャラだったと個人的には思ってる。

⬆️イメージ図

受験勉強は基礎が大切であるというものすごく当たり前なことに気づき、現役の大学受験のときよりも成績が伸びていることを実感。

結果は早慶に届かなかったものの、立教大学法学部に進学を決めた。

 

大学時代

大学は一浪で立教大学に入るも、周りはイケメン・美女が勢揃い。

ゲスい発想をすると男からしたら立教の美女は目の保養としては最高レベルといっても良いのではないか?

 

元々、大学では検事を目指していたが、裁判の傍聴をしたのをきっかけに「自分には感情に基づいた紛争解決をする法曹の仕事は向いてないし、無理だ」ときっぱり諦めがついた。

大学では合気道をやっていたが、それについて次のところで書いてる。

大学生のときは派遣バイトしかしておらず、収入が不安定でお金の教養がなく世間知らずな大学生だった。

⬆️大学時代はこんな感じで遊んでた笑

かといって大学の勉強をしていたかというと、ほとんどしてない。

いかにも普通の遊びメインの大学生活を送っていた。

 

大学時代(体育会・就職活動編)

立教大学法学部に進学してからは運動したいと思い、合気道という武道に出会い、体育会系に入る。

合気道をやりたいと思ったきっかけとしては、自分より体格がふた回りくらい小さい人に力技なしで倒されたことが興味を持ったきっかけだった。

合気道を始めてから、大学1〜2年生のときは初段を取りたいという一心で練習に励むも、体育会の仕組みが分かってきて徐々に嫌気が差した。

⬆️嫌になったイメージ図

大学2年の終わりに初段を取ったらもう辞めるつもりだった。そのきっかけは、大学2年の後期の全国大会の飲み会が全然面白くなかったことがきっかけだ。

ブログを書いている今では面白くないものを「面白くない!」と忖度なしで言えるが、大学2年の当時は先輩に嫌われることがあまりにも怖くて言えなかった…

他人の目を気にして行動すると、息が詰まるはずだ。

自分が一途に追いかけてたものが嫌いになる経験はこれが初めてだったので、ショックは大きかった。

 

初段審査で合格するという目標を達成したら辞めることを先輩に告げたら、「あなたの目標は二段を取ることと先輩から受けた恩を後輩にギブすることだ」と言われ、辞めるかどうか正直かなり迷った。

結果的に自分は残る選択を取り、同期は1年のときに16人いたが、最終的には俺を含め4人になった。

しかし、その選択が不幸になることを大学4年生のときに気づくことになる。

大学3年の後半から部活の最上級生として後輩を引っ張ることになるが、正直二段を取るというモチベーションでは全然ワクワクしなかった。

就職活動でアピールするための出汁という名目で部活に淡々と取り組んでいたが、いざ実際に就職活動をしてみると、自分の志望していた大企業からお見送り(不採用)メールばかりが届く。

結果的に内定はITのコンサルタントの1社だけだったが、正直内定をとってもワクワクしなかった…

先輩との約束を守るために合気道二段の審査を受けて合格したものの、取った感想としては「だから何?」っていうのが正直な感想だ。

今までやってきたことを全否定された気分で、憂鬱な4年間だったというのが本当の気持ちだ。

自分の中ではこのままじゃ終われないと思い、大学の単位を2単位を残し、ベンチャー企業に絞って就職留年を始める。

 

大学時代(就職留年編)

大学4年生のときに体育会系の肩書きを活用して大企業を中心に受けていたが、自分が行きたいと思っていた企業からは内定が出なかった。

これまでの人生の岐路をかけた大勝負では世間的な評価で判断すれば、そこそこ上手くいってる人生を送っていたと思う。

しかし、ぼくにとっての初めての敗北が就職活動だった。

このままでは終われないと思い、就職留年を選択。

⬆️就活のリベンジをしたいと思った当時のイメージ図

就職留年したときは、年齢ではなく実力で判断されるベンチャー企業を中心に受けた。

しかし、自分のことを理解していなかったのか、ベンチャー企業も大企業を受けたときと同様全滅。

ベンチャー企業の就活を2016年の3月から5月までやったが、結果が全然ついてこない…

 

このときに自分のスキルでお金を稼ぐフリーランスという働き方を知り、7月からプログラミングの勉強に挑戦。

プログラミング言語で言えば、HTML/CSS/JavaScript/jQuery/PHP/Ruby/Ruby on Rails/Pythonあたりに挑戦。

プログラミングを勉強しながら開発の仕事をしたいと思い、3ヶ月コースのコードキャンプと1ヶ月コースのTECH::CAMPのコースを受講。

 

プログラミングをやっていたとき、自分の人生を大きく変えたのが後に出てくるネットワークビジネスだった。

プログラミングにハマりつつも、仕事には全く繋がらない…

そんなマイナスループにハマりまくってた中、9月の前期試験で大学の卒業を決めた。

⬆️停滞してたときのイメージ図

プログラミングのアルバイトはどこも採用されず、10月末に自分の手持ちのカードがほとんど尽きてしまった…

本当の最後の最後に残したカードがネットワークビジネスだった。

実はこれがパンドラの箱を開けるとは全く思ってもなかった…

 

就職留年(ネットワークビジネス編)

スーツを着て就活したものの、会社員にはなれず、スキルが一向に身につかない…

こんなにヤバい状況に追い込まれたのは生まれて初めての経験だった。

もうこれは何かを根本から変えるしかないと思い、ネットワークビジネスに挑戦。

ネットワークビジネスの会員費が税抜きで30万円かかり、貯金がなかったので人生で初めての借金に手を染めた。

※ネットワークビジネスの借金は2018年の7月に完済

⬆️ネットワークビジネスを始める前の覚悟はこんな感じだった

ネットワークビジネスでは営業をするときは愛想良く振舞っていたが、会員になった途端に人がガラッと変わり、質問をしても雑な対応をされ、人間関係における人生最大の失敗を経験した。

このときに初めて関わったらヤバい人のフィルター設定を明確にすることができ、人の好き嫌いが完全にハッキリした基準を設けるようにした良いきっかけになった。

ネットワークビジネスの中を知れば知るほど、営業をしている人たちがゲスい集団だと気づく。

ネットワークビジネス内では無形の情報教材を自分で作成して、販売するビジネスをしてた。

 

実際に自分で大学受験でMARCH以上の難関校に合格するための資料をゼロから作り、1,500円で1本売ることができた。

でもこの1本をゼロイチで作って商品が売れたときは本当に嬉しかった…

このときに初めて商売の難しさを身体で実感。

⬆️初めて自分で商品が売れたときの安堵(イメージ図)

ただ、自分の商品によって30万円の投資分を回収できる目処が立たないと思ったのと、ネットワークビジネスの関係者が好きではなかったので収益化したタイミングでやめると決めた。

2017年の7月の初旬に収益人生初めての収益(1,500円)を出したものの、借金だけが残り、ネットワークビジネスから足を洗った。

 

コンビニ時代(2017年7月〜2018年1月)

ネットワークビジネスを辞めた直後は、フリーランスではなくフリーターという肩書きと借金が残り、借金返済のためにバイトをしながらヨッセンスクールとNewsPicksアカデミア箕輪編集室で知識を蓄えることに専念。

フリーターをしてたときは大学4年生のときからやってたコンビニバイトを継続。

コンビニの仕事は場数をこなしていくうちに、上司の仕事のいい加減さや接客でお客様からの理不尽を経験。

これをきっかけに、コンビニバイトの遅刻が日常茶飯事になってしまい、その上遅刻の事前連絡をしてない…

今振り返ると、ただのクソ野郎だ笑

 

フリーターのときに借金返済に追われていても、お金には変えられない貴重な経験をすることができた。

それが2017年の7月に学生のときからブロガーで有名だったやぎペーさんのオンラインサロン(イントラサロン)に入会して、やぎペーさんと出会ったことだ。

※現在はイントラサロンは閉じて、自己理解Meeeラボを運営している

 

2017年の9月には香川県のプロブロガー「ヨッセンス」を運営してるヨスさんと直接対面。

⬆️ヨッセンスクールメンバーで集合写真

 

他にも、「今日はヒトデ祭りだぞ!」を運営しているヒトデさん、「ノマド的節約術」の松本さんも東京のブロガーズフェスティバルで出会えた。

ブログ界のトッププレイヤーの方と出会えてお話ができただけでも、実力や知名度がない自分からしたら貴重すぎる…本当にありがたい限り。

 

実はバイトを辞める半年以上前から散髪をサボったら、かなりロン毛になってしまった…多分人生最長だと思う。

流石にこれは自分でもドン引きする笑(ライブドアで長髪だった堀江さんみたい・・・)

⬆️人生初のロン毛

コンビニで仕事をして2年が経ち、上司に嫌気が差して辞めたいと思ったので、貯金をせず2018年1月末にコンビニバイトを退職。

ハッキリ言って外で働くのは社会不適合者の自分には無理だとコンビニバイトを2年やって確信に変わった。

 

フリーライター(2018年2月)

⬆️こんな感じでライターをやってた

コンビニバイトを2018年1月末に辞めたあと、クラウドソーシングと外部のメディアで仮想通貨とブロックチェーン専門のライターとして活動。

コンビニバイトを辞める直前にコインチェック取引所のハッキング事件でNEMが盗まれ、ライターの仕事が無くなるんじゃないかと青ざめた…

このときに初めて、バブルに踊らされてはいけないと気づいたきっかけになった。

実際に1ヶ月くらいライターに集中してやってみたものの、記事の受注生産に全くやりがいを感じなかったので、ライターとして生計を立てることを断念。

クラウドソーシングのライターの仕事をしていたとき、親から「外に出てがむしゃらに働け!」とひたすらプレッシャーをかけられ、親ブロックが最も強く受けた1ヶ月だった…

 

無職(2018年3月〜6月)

⬆️引きこもって1日中ネットサーフィン

ライターで挫折し、無職(ニート)に。

実は大学生のときに家で引きこもってみたいなぁと密かにニートに対して憧れを抱いてた。

4ヶ月くらい引きこもったが、1ヶ月くらいで飽きました笑

ニートをしていたときに、自分の部屋にある要らないものを沢山捨てて断捨離にハマり、「ミニマリスト」と名乗ったりもしてた。

このニートの4ヶ月の中で自分が今後どうやって生きるかをじっくり考える内省の時間に充ててから、実家と東京から離れたいと本気で思うようになり、田舎フリーランス養成講座に参加したいと強く思った。

メモ
田舎フリーランス養成講座とは、人生の方向性を考え、必要なスキルを学び仕事で実践する、1ヶ月間の地方移住型フリーランス体験プログラムのことです。

 

2回目のフリーター(2018年7月〜9月)

田舎フリーランスに行くお金を稼ぐために7月からコンビニ以外の仕事で興味のある仕事がしたいと思い、古本屋でフリーターとして仕事を再開。

古本屋の仕事は自分の知らない古典や小説など知らない本と沢山出会えるのが非常に面白い。

しかも古本屋の仕事はコンビニのようなガラの悪いお客さまが来ない。これは接客が多少苦手な人でもやっていけると気づき、一安心。

個人的に人見知りで、読書が好きな人は本屋の仕事をおすすめ。

ストレングスファインダーで学習欲と収集心が上位5つに入ってる人は本屋のバイトが個人的に向いてる気がする。

古本屋の仕事だけではお金が足りないと思い、7月にゲームデバッガーに挑戦。椅子に長時間監視されたところでゲームしかできないのは色んな意味で辛かったので1ヶ月でギブアップ。

他にも、7月の1ヶ月限定で宅急便ヤマトの早朝バイトも経験。

ヤマトの仕事は早朝の5:00に荷物の仕分け作業を3時間。早起きがあまりにもキツく、何度か遅刻をした気がする…

コンビニバイトをしてたときは遅刻に対して全く罪悪感を感じなかったが、ヤマトの仕事ではちょっと罪悪感を覚えたのは覚えてる…

7月は3つの仕事を同時並行でこなし、世間で言う社畜に近いレベルを体験。

7月の勤務時間だけで過労死レベルの月240時間を余裕で超えていた。冷静に考えると、ヤバい…

⬆️1ヶ月で200時間以上働いた後のイメージ図

8月は古本屋の仕事をひたすらこなし、副業でブログを少しリライトしたりしてた。

古本屋の仕事だけで月160時間くらい働いた気がする。

実は8月の上旬から下痢がずっと続いていて、違和感があった…

9月にその違和感が明らかに。

⬆️こんな感じで腹痛だった

8月末に古本屋だけでなく専門書の本屋で仕事をしようと思っていたが、本の卸売の仕事に派遣された。

そこには還暦をすぎたおじさんだらけで、完全にアウェーな環境で働くことになる。その上、タバコの煙とおっさんに適応するのが面倒に感じ、ストレスが初日から溜まる。

他にもストレスの原因として、朝の9:00出勤で満員電車に乗る羽目に。

実は、この満員電車のストレスと長時間労働が原因で9月の下旬にトイレの便器が真っ赤に染まり、血便が出てしまった…まさにカオス!!

流石にこれは異常だろうなと思い、周りに相談したら「すぐ病院に行ったほうが良いよ」と言われ、重い腰を上げて病院に行くことに。

診断結果はすぐには出なかったが、潰瘍性大腸炎の可能性があると医者から告げられ、真っ青に…

これをきっかけに本の卸売の仕事を2週間で辞めた。

血便をきっかけに、一人の力で何でもできると強がって生きていたけど、人間は一人では生きていけないと身体で学んだ。

 

田舎フリーランス参加(2018年10月)

2018年の10月に田舎フリーランス養成講座(以下いなフリ)に参加。

ここでフリーランスとして独立するための土台を学びたいと本気で思い、千葉県の金谷に1ヶ月シェアハウスで暮らし、移住体験しながらスキルを学んでいる。

いなフリ初日は台風が原因で全員集合できなかったことが印象深い。

私はストレングスファインダーでは規律性が最下位だったが、いなフリは前日入りして早めに金谷に到着し、奇跡的に遅刻をしなかった笑

やっぱり気が乗らないことに関しては遅刻をする傾向があると気付きました…

規律生が最下位なのも納得…

 

今後やりたいこと

今後やりたいことや実現したいことに関しては「やりたいことリスト100」を参考にしてほしい。

現在の目標は2つあり、1つは「サイト制作でメインの収入源にすること」と、もう1つは「ブログで稼ぐ」ということだ。

自分自身まだ25歳(もうすぐ26歳)とまだまだ若いので、何かしらの分野で突出したスキルを身に付けるというのが直近の目標だ。

ブログに関しては今までは自分のこれまで明かさなかったネットビジネスの闇を公開したくないというのもあり、ブログの発信活動に身が入らなかった。

でも、2018年のいなフリをきっかけに自分の過去と向き合ったのをきっかけに、本格的にブログの発信活動をしていこうと心に決めた。

 

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